はれ、ときどき一期一会

2024年も走り続けることにした。

続・生活改善。

暑い。
なんかもう笑い事ではなかったですが、
今年の夏は感染症熱中症でもう・・・危なすぎて

はっきり言ってめんどくさ!


というのが正直な気持ちでした。
ちゃんと休みたい。
でもなんかちっともゆっくりできない。

近くでのんびり、とはいえどこに行っても
なんかコロナ。
もうほんとうにコロナ疲れ。

暑いだけでもみんなたいへんなのにさ。

素直に汗びっしょりになって
イヤー暑いね、ってのでじゅうぶんなのに。
倒れるほど暑いし、なんかもうどこもかしこもコロナだし。

不安になっても検査はやっぱりしてもらえないみたいだし。

もう何?

世間のこのどよーんとした雰囲気も全部さすがにコロナのせい。
医療機関の方はみんなずっとたいへんだし。
受診控える人が増えて、経営難にもなってるそうで、
Go To なキャンペーンもいまひとつだし。

経験のないことなので対策やその効果などまだ迷走するのも、
疲れるのも、しかたないですが。
ほんとうにすごい8か月です。そしてしばらく続く。


密を避けることにみんな慣れてきたはずですが、
新しい生活様式がしっかりとは定着しないままゆるみはじめていて。
変わる、変える、ということがこんなにも困難なことだとは。
それが病気に関わることであってもなお。

たしかにインフルエンザが流行っても、気にしない人はたくさんいましたし。
ものともせず集団で密に会議してきましたし。
何もかも今までをふりかえればなるほど。

自分なりの感染症対策として
自分はコロナかもしれないからを大前提にして
だれにもうつさないように。と。
そしてもくもくと、生活改善を続けてはいるのですが、

朝夕の日差しがまだ弱い、おだやかな時間が少し長くなってきました。
この時間がとても大切です。1日のうち一番気持ちいい時間。


体調不良から元気になるまでの記憶をたよりに、
生活改善のステップをぼちぼちと書いていますが

ある時期、まいにち気持ちを奮い立たせて職場に行くものの、
職場にたどり着くと体調不良が起こるようになり、
ついには歩けなくなったるこっく。

その状態から回復するために、

「その1:会社を辞める」
「その2:眠る」

この2つを実行しました。



※「その2:眠る」にたどりつくまでに、
  「怨念を捨て去る」
 これが最重要課題でした。なんともなさけない未練がましさ。

運よく、次の仕事のお話をいくつかいただき、ほっとして
「悔しさやらなんやらで眠れないなんてもったいない。」
「もう何も関係ない、自由になったのだ」、と思えるようになり
そこから少しでも前に進みたい一心でした。
その残念な感情、「うらみつらみ」から次の場所までは這い出るように進みました。


仕事に悶々とした生活が続き、極端な体調不良をかかえてしまうと、
「転職先が決まってから退職する」というスムーズなステップは困難でした。

この「転職先をまず決める」というのを要領よく進められたなら
心身をいためつけるまえにダッシュで逃げ切れるはずですが、
ここで余計な責任感から
「途中で放り出すわけにはいかない」、などと
「自分にできることを模索」してしまいました。ほんとにいらんことでした。

それが無駄なことだったわけではないと思いたいのですが、
あきらかに違和感を持った時点で、
割り切れなければ切り捨てることも大事と知りました。

ひとりで何もかも変えたい、というわけではなかったのです。

三方よし」、のような体制をなんとか構築していきたかった。
協力者も探して少しずつ変えて、改善していこう、と考えてしまったのです。

そのときの動き方はそう悪くはなかったのでしょうけど、(そう思いたいの。)
あまりにも全体の状況がひっ迫していたので(それに気づかずにいたけど)
力技、ゴリ押しする、という手法がまかり通ってしまっていた。

そのことは結果的にその後の大きな変革につながったようですけど。
「あの組織はこうなったそうです。」と聞かされた時
「いらない情報」だとも思いましたし。

お世話になった上司もパワハラで体調不良になったと聞いたときはショックでした。
縁あってその後お目にかかった時には笑ってお話もできてよかったのですけども。
そんなことになっていたとは。言葉もありません。
すでに組織はぼろぼろの状態になっていたのだな、とやっと知りました。


少しずつ記憶がうすれゆく今、思い返すと
「同じことを繰り返さない」
「働き方を変える」
この2つを強く意識して再就職したように思います。


「のみこめないことをする仕事である可能性が低いこと」や
「自分の意見、意思をはっきりさせること」
そして
「いつでもそこから離れること」を覚悟して備える。
これは実践しました。

普通に考えればするべきことが、何もできなくなっていた時点で終わっていたのですよね。
そこしかない、と思う、思い込むことの危険性も身に沁みました。

自分で責任をとるためにも、自分にできること、したい仕事であっても
心身は犠牲にしないこと。

なにより、家族にとってその姿はあまりにも大きな痛みになることも。
ほんとうに心配をかけました。

回復してからは少し人づきあいを前ほどは積極的にしなくなったことで
「前はそんな人じゃなかったのにね。」と言われ、
人と少し距離をおくようになってしまったことを
心配してくれているのだなと反省しました。

ただ、今は自分の時間もだいじなのでね。
前ほど忙しいと、また眠る時間削ることになりかねないからね。


少しずつ元気になり、切り替えて新しい環境になってからは
ストレスなどの加減も含めて健全さの維持を意識する働き方に変わりました。
いや、変えました。なんとか。

仕事の質に影響しない、させない働き方が効率や結果にもプラスになり
心身も疲弊しない、消耗しないのだと体感することもありました。


気持ちの整え方や人との関わり方も少しずつ改善されたのだろうとも思います。
不器用なのでそんなこと誰でもできると言われてもしかたないです。


しかし、実はそうした不調のとき、キッチンにまともには立てませんでした。

くいしんぼうで、時間があるとキッチンにいつもすぐこもっていたのに
毎日作っていたお味噌汁が、いつのまにか作れなくなりました。


そのときやたら愛用していたのがこれ


おいしいし、何種類かあってけっこう重宝するな、なんて思ってました。

それまでは味噌を何種類もストックしていて
具の組み合わせも楽しんでいたのに。

かなり精神的に疲労していたということ。
まったくわかってなかったです。

さすがに自分でもふと、「お料理を楽しめない。」ことに気づきました。

ゆっくりとだしを取るのも好きでしたが、そのころにはつらくなっていました。

そんなことになったるこっくを黙って支えてくれたのは家族です。
一刻も早くそこからはなれることだけをそっと伝えてくれていました。


いつものお味噌汁を作れるようになるまで少し時間がかかりました。
気持ちが前向きになり、地道でていねいな食生活を取り戻したことから
生活改善のステップとしても、

「その3:食生活」

だと思います。

腸内環境を意識できるようになり、よく言われていますが和食中心で、
旬の野菜や、雑穀、きのこや麹などの菌類、豆類が食事に戻って
体調はさらに上向きになりました。

それが健康診断の結果からも推測できました。
それまではもしやあの病気?と思うような検査数値や症状まで出てました。

精密検査を指導されて検査にいくものの、結果は病気の診断までにはならない。
それを繰り返しました。要素がある、というのは言われましたが。

そうした「未病」のような状態から完全に解放された健康診断の結果にびっくりしました。
消失することはちゃんとあるのだなと。

お味噌汁を作るのが楽しい今、大切な人との時間や、大切な人の心を
ちゃんと感じられるように生活したいと思っています。

生活改善はこれからも、感染症が終息してもまだまだ続きます。



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