はれ、ときどき一期一会

2024年も走り続けることにした。

花火も夏祭りもない夏。

小さな町の夏の風物詩がなくなり、

神社の夏祭りもない。


もちろんこの世からなにもかもなくなったわけはないけど。



花火はランダムであげてくれるらしい。
川べりや浜辺で花火すればいつもどおり。


蝉が鳴いていて夜になると涼しい虫の声が聞こてくるし。


ますます異様な暑さは窓のそばにいてもわかるほどの熱気。


暑い町ではお盆の精霊流しは中止になり
ながいこと毎年あるのがあたりまえだったイベントもすべて中止。
感染症は日常からいろんなものをうばったのはまちがいない。



ウィズコロナなんて無理よ、という声は何度も聞いた。
新型コロナウィルスが拡がったことで終わったことはたくさんありすぎる。
真の恐ろしさをいま、感じています。
この恐怖は春のときのそれとは違う。

ただ延期になっただけ、中止になっただけ、
感染症が収束すればまたすべて元通りにはじめられる。

そんなことばかりではない。

廃業していく、せざるを得ない事業者のみなさんを見ていると
生活を大きく変えてしまったこのウィルスの大きな恐怖が
どこまで拡がればおさまるのか見えなくて。

8か月もの間、試行錯誤してきたいま、
最適な対応はどんなことだろうか。
もう何をしても遅すぎるのだろうか。
これからも振り回され続けて
その波が押し寄せては引いていくのを耐えるほかないのか。

そんな不安を感じます。
まだ夏なのに。


今後
もっと恐ろしいウィルスが人にせまってくる可能性が高いと言われているのに。
心配性すぎるとはもう思えないのです。
こんな8か月があったから。

「新型コロナウィルスは風邪のような、インフルエンザのようなウィルス」
からしばらくはマスクと手洗いうがいを励行してできる限り蔓延を避ける。

ほんとうにそれでいいなら、それで少しは予防できるなら。

いまはどんな情報も不確実で、ルールも法律ではないので。

マスクをしない、大声で話す人たちと接する機会を完全に回避するのは
生活の中で意外と難しいことだと痛感しています。


新しい生活様式、衛生面からも良いのではないかと思っていますが
実践しなければ効果もでないわけで。


コロナコロナコロナ、ともう書かない、書きたくないと思っていましたが、
真夏のこの猛暑のなか、拡大している感染症
秋、冬はどうすればいいのだろうかと。



感染症がもたらした夏と静かに向き合いながら
お盆のしたくをしています。