はれ、ときどき一期一会

2024年も走り続けることにした。

生活改善、その後。

過去にはなはだしく体調の不具合が起こり
改善するため
「その1」として「会社を辞めた」るこっくでしたが
その後の話です。


会社を辞めた当初は手続きやその後の仕事のこともあり
すぐにはゆっくり休めない、というのはこれまたよくあることで。

ひととおり終えて、「眠れる」ようになるまで
少し時間がかかりました。


この眠ること改善活動の「その2」でした。

しかし「眠る」には気持ちの整理が不可欠で。
良質な睡眠を得るのは簡単ではありません。

おそらく「怒り」や「怨念」のような「うらみつらみ」が自分自身の中にあり
それが災いしてなかなか回復の道のりは険しい手ごたえでした。

どんな理由があっても他者に対しての激しい憎悪の念は
ただ自分へのブーメランにしかなりませんでした。

ほんとうに時間がもったいなかったです。
そのときはどうしようもなかったのでしょうけど。
悔しいやらみじめやらで悶々としました。

やっと眠れる、眠れている、と感じられるようになったのは
そこからほんとうにかなり時間を要しました。
ここは重要なポイントでした。


心身は一度不調になると簡単には回復できない。
若いとたぶんもっと早いのでしょう。

しかし長年の怨念が心身を縛りほどけない。

怨念を捨て去るのがとにかく先決で。


正直なところ退社してからもしばらく、もろもろに未練があり、
「次のスタートが見えてからでよかったのではないか」
「もう少し辛抱できなかったのか」
「さらなる異動を強硬に願い出ることはできなかったのか」
などぐずぐずと考えました。


在籍中にそのあたりは何度か試してみたり、相談したりしてはいましたが、
こちらができる限りのみこむように諭される。
理解を示して協力してくれる方たちに圧力がかかる。
環境が全体的にかなり悪化していき周囲の疲弊も病的でした。
のみこもうとしても心は受け入れられず、体調はどんどん悪化しました。
そしてある日、折れて歩けなくなりました。

まもなくしてから大幅な組織の改編と異動があったと聞きました。
終わりに向かって走らされていたのはみんな同じでした。

それから奇しくも仕事での縁で「和解」できる機会もあり
怨念もそのころまでには消え去っていたのも幸いでした。
苦労していたみなさんもようやく落ち着きを取り戻しつつあるようでした。


怨念はどうやって消え去ったか?

次のステップに進めたからだと思います。


運よくあらたな仕事に向かい始めて
自分がいた場所がだんだんかすんできて、
そんなに自分にとって不可欠な場所ではなくなりました。

ほかに生きる場所がある。会話が成立する人がたくさんいる。
そう体感できるようになったことで人間らしい生活に戻れたのだと思います。


ここにいたら思考停止してしまう。
前に進みたかった。
だからそこにいるのが嫌になったのではないか。

螺旋階段でもない出口のない迷路のような場所でぐるぐると回り続けるより
違う場所に行きたかったから、つらくなり、離れられたから吹っ切れたのかなと。

新たな人々と新しい仕事をすることになり、
それが「身の安全を保障」してくれて「眠れる」ようもなった。

どんなふうに働きたいか、仕事をしたいか、
日々をどう生活したいか、どんな人と関わりたいか、

苦しい時間がありましたが、
どうしたいのか、と自分に問う時間ができてよかったです。

異動直後に感じた違和感は、そうそう間違ってはいなかったのかもしれません。
それもまた「兆候」のひとつだったのか。とも思うので
それからは「カン」とか「かんどころ」とかも大切にしています。

style.nikkei.com