はれ、ときどき一期一会

2024年も走り続けることにした。

自分の異常に気づけないという最大の危機。

仕事に追われ、働きすぎて体を壊すのは自己管理能力の欠如。


とか言われても、環境に支配されると逃げ場はない。
助けを求めても周囲も同じ状況で追われているのに余裕はない。
これがあまりにもよくある現実です。

まず自己管理から。といはいえ、
なにしろ「社畜」という言葉が蔓延する会社組織。

危機管理としてのテレワークだから一時的な対応にすぎず、
通勤から解放されたと安堵する人をあざ笑うかのように振り出しに戻す。


ねぇ、
決して後戻りすることのないように、
アフターコロナ、ウィズコロナ、での取り組みをしよう、

ではなかったの?戻してどうするの?前に進めない体質?

通勤する人が減ると交通機関が赤字になるとか
オフィスを解約されると不動産経営が困るとか
飲食店がランチやお弁当の売り上げが落ちて困るとか

たしかに別の問題は起きる。
でも最優先は人なのでは?

生産性とか効率とか成果を常に求められるのに

ぎゅうぎゅうの電車に押し込まれることや
騒然とするオフィスで息が詰まるような空気と
おまけに感染症の不安まで盛り込まれると
およそ健全な空間とは言い難い環境は長く改善されず。


従業員は会社の資産。

健全な環境で快適に任務を遂行できるようにする努力は
経営陣には惜しまないでほしい。

などとるこっくごときが言っても、
これが資本主義。はいはい、そうでした。


でも言い続けたい。
人が資本で、財産です。
もし事業を存続させたいならなお、人を大切にしない事業に未来はない。



そして、

はたらかなければ、生活が立ち行かない。

それもじゅうぶん、いたいほどるこっくもわかります。
なにしろこの春、すごいことになりましたし。
せっかく面白い仕事に参加できる。とはりきっていたのですこれでも。

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どんな環境であれ働き続けるほかない。
指示に従うほかない。
生活のために。

だけどそのからだとこころは危険が察知できないほど弱ってはいないか?

気づいた時には睡眠が異常になっていた。
何も食べられなくなっていた。
「場所」によって腸に極端なほど不調が起こるようになった。
食べ物の味がよくわからなくなっていた。(コロナじゃないとき)
耳が聞こえにくくなっていた。

なんかちがうけどなんだろう。

できればそんな異常をきたす前に、
「なんかちょっとつらいな」
そう思ったら立ち止まってほしいのです。

だれでもいいから、ぼやいたり、つぶやいたりしてほしい。


そして

ちゃんと休んでください。

たぶん、ちゃんと休むってどんなことか忘れてるだろうから
ちゃんと休むっていうのはどんなことか思い出してほしい。


からだを休める。
こころを休める。

眠る。
食べる。
おいしい。
楽しい。
きれい。
うれしい。
ありがとう。
またあした。

そんな気持ちを取り戻すことをしてほしいのです。





あふれるツールやアプリをうまく使って
自分の体調のことを知ることから健康管理をはじめてもいいかも。
そのうちに自分の調子を感覚的に体感できるようになると思うので。
敏感なくらいでちょうどいい感度です。

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