ポスト・コロナ時代をどう生きるか、と
世界中の国家が、人が問われています。
悲観的と言われても
最悪のケースに備えるために準備していく。
ひとりひとりの行動でも有事の際には大きく差がついてくる。
戦争だけではなく、感染症や未曾有の災害、事故など
これまでにも繰り返されてきたことですが。
90年代に国内の保健所は半分くらいに減っていたのに、
新型コロナのパンデミックへの対応を迫られてしまった。
世界がより近くなり、危険はこれからも増え続けます。
情報のスピードが速くなっているのに
対応がまったく追い付いていない、という状態は終わりにして
常に落ち着いて対応していくためにも
公衆衛生のシステムをしっかり構築してほしいものです。
右にも左にもよらず、地球全体のことも考えながら
できる限り良い方法を模索するほかありません。
そう思っていても、行動しているつもりでも
ひとりひとりはとても小さな存在で
ときどき心細くもなりますが
小さな存在にできる限りの備えをしながら暮らしたい。
イソップ物語のきりぎりすはちょっとかなしい役回りでしたが、
芸術活動を続けながらこつこつと生きる道もあるのではないか。
などと思います。
どんなに遠くにいてもつながることができて
セキュリティも向上していて安心、安全ではあるけど、
その分監視される管理されることは増え続けていて
自由なようで息苦しい。
あり、ときどききりぎりす、になって
新しい時代を歩いて行けたら。
雨がやまない水曜日です。