はれ、ときどき一期一会

2024年も走り続けることにした。

肉食女子です。

お題「好きな肉」


牛肉がすきなんです。

あぶらでもあっさりでも。

わさびで食べる、というのがもうすごくすきです。

でも鶏肉のよく焼きあがってほろっとしたのもすきです。

もも肉とか、

一羽丸焼きになったものとかも。

豚ならチラガーがすきです。

てびちでもいいけど。


かなり肉食です。

でもお魚も、青魚もすきです。


ああ、でもいまなら鱧がおいしいのではないでしょうか。


おいしいものを食べるために集まるには理由が必要です。

その理由になる女子会という言葉が生まれてくれてうれしかったです。

いや肉を食べるために生まれたのか、

女子会のために肉を食べるのか・・・ま、いいかどっちでも。


しかし男子会、もあっているのでしょうか。



そういえば女子会、という言葉に粘着的に反応した


会社のだめんずの方がのたまわっていたのは、


「いい年して女子会とか気色悪い」

というおことばでした。



ええ、申し上げました。

あなたがたがそのようにお思いになるのと同様に

ご家庭の女子の皆様も「くさいしださいし上から目線で気色悪い」

そのようにお思いになっておいでかと。

おたがいさまだわい。


るこっく、ひと昔前までは、ちと遠慮した物言いをしておりましたが、

もう遠慮するのは逆にはばかられるおとなになりました。


よって

「オバハンとかに痴漢扱いされたらもう腹切りますよ」

と通勤電車での冤罪について語る小僧にも容赦しません。


切ってごらんよ。

切れないんだったらおまえは一生ひとりで暮らせ。

そんなひとがことあるごとに

「なんでぼくちゃんいつもひとりなんだろ」とかつぶやくのやめてください。

とんだ勘違い野郎はあなたです。


なんとまぁ女性の苦しみに無理解なのか。恥。


家族なら恥です。


他人さまでよござんした。



そう思うのですが、暴言ですか?



女性は痴漢に触られたくありません。

男性もそうでしょう?


実はとあるスーパーの混んだ場所で

「男子」が女性の痴漢に遭うのを見ました。

おぞましいその女は、驚く人々をあざ笑うように

ねっとりとなめまわすようにこちらを見ながら立ち去って行ったのです。


そんなこともあるので

男女かかわりなく痴漢に遭うことは身近で、日常なのだと感じています。


それは肉食女子じゃない。

魔物です。


あの顔はいまだに恐ろしい顔のひとつとして忘れられません。

空いている電車であっという間にまわりに座って

全員が痴漢であったときのあの腐れ男たちにも似ていた

おぞましい顔。


ばけものどもはいつでも気さくに電車に乗ってきます。

さわってもらってありがたいと思え、と考えています。

見かけたらとりあえず常人逮捕しましょう。


肉食女子からのささやかなお願いです。



るこっくは見かけたらかなり容赦しません。

もう二度と泣き寝入りしません。

必ず駅員さんに引き渡します。


ちなみに知り合いの仕事がデキる男たちもかなり厳しいです。

痴漢するために電車に乗るなら覚悟して乗ってください。

その薄汚い手をたくさんの目が監視しています。

毎日ラーメン食べたいです。

欲望の赴くままに


そのようなことしてみたいですが、

いや、していましたが、

お昼の憩いのひととき、ラーメンがおいしかったら

午後から仕事に無心で集中できました。


バランスの問題はほかの時間の食事で帳尻を合わせて

まさにラーメンを食べるためにバランスをとる、というものでした。


しかしいま、こんなに、とくに、いちだんと暑い夏なのに、

ひるの憩いの時間はずれこみ、

食べたいときに食べるほかなくなり。寂しい思いをしています。心から。



毎年こんな暑い季節になると

とんこつラーメンを食べるのが

夏バテ防止になっていたと思う、思い込んでいるのに。間違いないのに。




いちにちの時間配分が変わった今年の夏も

梅雨明けまでごろには

またお昼のラーメン、再開したいとひそかにもくろんでいます。




しかし

もちろん冬も食べます。寒いから。とんこつで温まるから。


ああ、ラーメンのためにとにかくがんばります。

わたしの本棚

今週のお題「わたしの本棚」

ついこのお題にはひかれてしまいましたが、


ある自然災害で、すべて流れてしまった本棚ですが、

その本棚にはお年玉やアルバイト代でせっせと買いためてしまった本が

文庫本からハードカバーや専門書まで

押し込まれていました。

懐かしいその本棚は、

だいすきな祖母が本ずきなわたしのために買ってくれた

しっかりしたつくりの本棚でした。

昔ながらの家具屋さんで選んで買ってもらったことがまだ記憶にあり、

その日がほんのこないだのことのように思い出せるのは

わたしが成長していないせいなのか、

それとも年をとりすぎてしまったせいなのか。


祖母と過ごした時間を思い出すと、

孫としての記憶と奇妙に重なって想像してしまう、もっと祖母が長生きしていたら。のIF関数で。

ひ孫たちとの時間はきっとこんな風に過ごしているのではないか、

こんな会話をして彼らに影響を与えてくれていたのではないかなどですが。


妄想はさておいて


その本棚にあったのは、

イラスト集とか画集とか、そして新潮文庫吉川英治のシリーズものとか

目について気になって衝動買いした絵本とか

まじめに学んでいたころの本とか

分厚い辞書とか

ほんとに偏った本棚でしたが

大切な本棚には選び抜いたものを入れているつもりの自分が思い出されて


なつかしいような、はずかしいような。


もし、またあの本棚を再現できる日が来たら

すっかり廃盤になってしまった英文法の本とか、

師匠だと思っていた料理研究家の本とか、

古書店をめぐって旅したい。

そんな旅の理由をみつけてうれしい金曜日です。

地味なのよ。

そういえば子ども時代にはもっと地味だった。

地味でありたいと意識していた。


家族はなんやらかんやらと

愛らしい色を着せたいもの。

でも選んでもらっても

そんな派手なの着れないから。

と地味な色を選ぼうとしては

主に祖母や母をがっかりさせた。


それでも愛らしい服を着せることを決してあきらめず

出かけると選んでくれた。


ほんとにありがとう。


おかげでいまはせっせと愛らしい服を選んであげるのが

もう楽しくて楽しくて。


こんな気持ちだったのよね。きっと。


愛らしい服を愛らしい顔で喜んでくれるこどもたちにも

感謝しています。



そして地味な母に、

もっとこんな色も似合うのよ、と選んでくれる。



ああ、しあわせなるこっく。


本日もまたがんばります。


私、地味女

私、地味女