生産性の低い国だと言われてけっこう時間もたちましたが
なんに対しても生産性だけを求めることは難しいし
いまだに生産性だけを見ているとすると危険ですし。
なんにでもあてはめてしまうのは特に恐怖を感じます。
ほっといてくれ、という気持ちとか
変えたくない既得権益の気持ちとか
未来の人々の気持ちとか
困っているほどいらないものを変えたい変えていきたいときに
現状、事情、実態がわかるにつれて気持ちが悪くなることも。
かといって手をこまねいているのもつまらないので行動で示すこともあるでしょうし。
ただ。
変わりたい人だけが変わる。
変わっていくものは止められない。
それはたしかなことです。
これまでもそうであったように
変わってしまって残念なことも起こるかもしれないし
変わってよかった。暮らしやすくなった。
そんなことも起こるでしょうから。悲観的にはなりません。
終わってしまったことがどのくらいあるのか
思い出していくと数えきれないほどですし。
わかりやすいものでいえば通信機器や映像機器、家電・・・
お墓でさえ・・・
健康、という多くの方が気にしているテーマに関しても
その常識は大きく変わってきました。
老化は病気。
そんなことを聞くとむやみに想像してしまいちょっと怖くなりますが
あまり読みすぎず適切な距離を持ちたいです。
*1
いくつかの元号が変わっていく中で
すっかり姿を消してしまった
絶滅してしまったようなこともあるわけで。
でもきれいな日本語や文化は少しでも長く残っていてほしい。
それは他の国の言語でも文化でも。
食べ物はこれから、収穫できなくなったりして変わっていくかもしれませんが
かたちのないもののほうが残りやすいかも。
多くの人々に評価された文化なら許されたり愛されたりして残っていくのかも。
そんな気持ちになれる秋の一日です。
*1:適切な距離って・・・はまた別の時に。