そういえば夏休みの宿題はなんだったのか、といえば。
夏休み最後の日曜日、今日もすこぶるいい天気。
10月のいまとなっては
ここまで書いて途絶えた下書きこそが夏休みの宿題、になってしまった。
あのときは夏休みが終わってしまうことで
ああ、またいつものまいにちか、という
なんとも日曜日にサザエさんを見ていたときに感じたあの気持ちになっていた。
夏休みが終わっても
休みたければその分前倒しで仕事を進めればいいのだ。
そして休みたい日程で休めばいいのだ。
それが許されるようになったのはおとなになったからだ。
そんなふうに、夏休みの宿題をどうにかして取り組み、
なんとかクリアしていけば
時間を自分のペースで使えるようになるからね。
こんな言葉が夏休みの終わりにがっかりするこどもたちのはげみになるのなら。
そんな気持ちだったのだ。
伝えきれたかな、そのおせっかいな気持ちを。
冬休みまでにまたほかのことばも考えておこう。
夏休みの宿題に追われるのがいやだったら、
さっさと片付けて逆に追いまわしてやる、という手もあるんだし。
政権が交代しても
ミサイルが発射されても
わたしたちはいまある日常を生きるほかない。
目をそむけたくなるようなできごとにおどろきとまどってしまうのは
とてもくやしいから、せめて前を向いていたい。
あの日も、ぞっとするようなアラートが鳴ったけど、
いつもどおりに駅に向かうほかなかったんだもの。