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はれ、ときどき一期一会

桜が遅く、長く感じられる4月でした。

無邪気な善意は時に悪意より性質が悪い。

学校に行くのが死ぬほどつらいなら図書館へいらっしゃい。という図書館のツイートに

 

賛同したのは

 

 

けして無邪気な善意ではありません。

 

 

 

命をなげだしてしまいそうな子がいるのなら

 

それはしないでほしい。

 

その子を助けるおとなが、まわりにいないのなら

 

いまはせめて命を守るために

 

 

家にずっといてもいい、できれば転校したり、保護者から学校へさまざまな申し入れをしたりできる限りのことをしてもいい。

 

でももし、なにも話していないからか、話しても無策なのか

 

そんな状況のなか、苦しんでいるのなら

 

図書館へおいでよ。

 

一時避難して、せめて執拗な、陰険な攻撃に身をさらすのをやめよう。

 

身を守るために逃げてよ。

 

そんな意味だと思っていました。

 

 

絶賛し、まるで宗教のように熱狂したわけではありません。

 

どこにでもある、どこにでもいる、ふつうの暮らしの中で

 

いくらでも目にする「いじめ」

 

自作自演のあらぬ疑い教頭にかけられた子

 

せっかく転校してきたのに、そこでもいじめられてしまう子

 

わが子の苦しみを保護者会で話して逆に保護者達に冷めた目で見られた親子

 

 

他人事なので、当事者ではないので

 

「雰囲気づくり」もできない親子たち。

 

 

ああ、その親にしてその子あり。

 

 

無邪気な善意も悪意もありません。

 

いじめ、それは犯罪。

 

その毅然とした態度を示し続けるのみです。

 

その子に最後まで責任を持てるのか。

 

面倒見れるのか。

 

 

そんなこと言っているのはありません。

 

しっかり見守り、「許さない」態度を示すことで

 

支えたいだけです。

 

いまは、逃げて、たえしのぶしかないとしても

 

生きていればその薄汚い奴らからは逃げられます。

 

平日の昼間から学校を休んで図書館にいたらえらいことだよ。

 

そうでもないと思います。

 

さりげなく見守っていたいだけです。

そんな子どもたちが、親御さんもいっしょに、前を向いてくれるようになれば、と

祈るほかないから言うんです。

 

いいじゃないの、危険から逃げるのは基本でしょ。

 

でもそんな汚い奴、ほっておいてほんとにごめんなさいね。

 

卑怯なやつらに心底怒っています。